BTTFの設定のあれこれについて記載していきます。
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PART1 | PART2 | PART3 |
PART1 | |
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BTTFの一番最初のタイトル案は「ブラウン博士、未来を訪ねる」だった。タイトルだけ先にという名前だった。思い付き、ストーリーは白紙だったとのこと。 |
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ボブ・ゲイルは「観客が知ってなければならない歴史は最初の10分に収めよう」と言い作品を作った。 この言葉のように冒頭のシーンでマーティ&ドクそれぞれの人間性を表すような描写が描かれている。 |
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PART1の脚本第1稿は1981年2月24日に書き上げられた。 |
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マーティの初期設定は「世渡り上手な若者」、ドクは「廃屋となった映画館で海賊版ビデオを製作するビジネスをやっている」だった。このドクにとっての臨時収入は、実験資金と手回しオルガンを引くペットのサル"シェンプ"の世話代と餌代をなかなう為のものであった。 |
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ロレインの第1稿での名前はアイリーン。第2稿ではメアリー ・エレン・ゲインズ に変更された。 |
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第1稿ではビフ・タネンは地元のカントリークラブの警備員をしている。第2稿時点では街の悪徳警官 。 第3稿 でジョージの上司に変更された。 |
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ヒル・バレー高校のダンスパーティの名前は第1稿では「パリの春」だった。 |
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第1稿ではジョージはビフを倒した左フックを武器にミドル級チャンピオンに上り詰め、アイリーンと幸せな結婚生活を送っている。 |
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ストリックランド の"ストリック"とは「いかめしい」という意味。 |
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第2稿は1981年 4月7日に完成。 |
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第2稿のマーティのガールフレンドの名前はスージー・パーカー。 |
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ドクは当初、教授という肩書きだったが堅苦しいとの理由で現在の博士の肩書きになった。 |
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ブラウン博士が「ドク」と呼ばれる様になったのは、当時とても人気のあったクリームソーダのブランド、「ドクター・ブラウン」と混同されるかもしれないとシドニー・シャインバーグ(当時のユニバーサルの社長)に言われたから。 |
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ドクのペット(シェイプ)をチンパンジーから犬に変える様に指示したのはシドニー・シャインバーグ。 |
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第2稿まではデロリアンは車ではなく冷蔵庫型タイムマシン「タイム室」だった。しかしフィナーレで装置を動かす必要があったのと子供がマネして入ると危ない等の理由で第3稿から現在の車のデロリアンに変更された。タイム室でタイムトラベルに必要な燃料はコーラだった。 |
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第3稿で決められた物語の舞台となる町はミズーリ州エルムデールだった。 |
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第3稿でのマービン・ベリーの名前はマーヴィン・ムーン。 |
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PART1撮影の為に用意された3台のデロリアンは約1450万円で購入され、それぞれに「A Car」「B Car」「C Car」と命名された。 |
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PART1の撮影初日は1984年11月26日月曜日の午前8時22分に、カリフォルニア州サウスパサデナのブッシュネル通りで車に跳ねられれそうになるジョージをマーティが助けるシーンの撮影でスタートした。 |
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ボブ・ゲイルの当初の考えではPART1公開を1982年中と考えていた為、マーティをそこから30年遡った1952年3月18日に送るつもりだった。 |
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当初マーティをロックンロールの発明者にしようと考えられていた。しかしそうするとタイムトラベルで遡れるのは1955年以前になってしまい製作に時間が掛かるほどこの案は取り入れづらくなると考え断念された。 |
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草稿第2稿ではドクは科学者ではなく大学教授という設定だった。 |
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最初の脚本は映画のエンディングと大きく違い、ボブ・ゲイルの考えではマーティとドクがネバダ州の砂漠にある原爆実験施設に車で出掛け、そこで不気味な実験用人形で溢れる町に潜み核爆発を利用してタイムマシンを未来へ送り返すというものであった。この設定は予算の関係でカットされたが、この構想を得たきっかけの1954年の「アトミック・キッド」は1955年のヒル・バレーの映画館で上映されており、看板からそのことがわかる。 |
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撮影されなかった砂漠での核実験のシーンは、後にスティーブン・スピルバーグが2008年公開の「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」にて似たようなシーンを再現している。 |
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時計台のセットはユニバーサル・スタジオの野外撮影所に作られ撮影された。セットを作った理由は、二つの時代用に街並みを作り直す必要があった為。 |
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時計台の文字盤の4時の部分にはアメリカのこの手の時計にはほとんどの場合「IIII」が使われるのだが、「Ⅳ」が使われている。 |
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当初脚本製作の段階で、マーティは映画の冒頭で自殺するという設定の時があった。「過程がめちゃくちゃで、うつ状態、ドクのタイムマシンが何か理解できず殺人光線を発するような物と思ってそれを使って死のうとするけど過去に戻ってしまう。」ボブ・ゲイルはこの案を「最悪なアイデア」と語っている。また別のマーティの設定として「少し"尖って"いて"やり手"。競馬で儲けるためにタイムマシンを利用するような性格」とされていた。結局この設定は続編でビフに使われた。また1982年のマーティが海賊版ビデオを売っているという設定も考えられていた。 |
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初期設定では過去から戻った1980年代のドクは有名な発明家で「E・ブラウン・エンタープライズ社」はグローバルな企業という設定だった。空飛ぶ車やロボット執事、自動フォトアルバムを開発したと設定されていた。 |
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脚本3本目まではドクの呼び名は「プロフェッサー」または「プロフ」と呼ばれていた。 |
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シャインバーグはマーティの母親の名前を第2稿のメアリー・エレンから自身の妻のロレイン・ゲイリーにちなんだ現在のロレインをいう名前に変えるよう頼んだとされている。 |
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初期設定時のドクはオルフェウムという廃劇場に住み、そこでマーティと海賊版ビデオを作っている。この設定ではドクをを殺しに訪れるのはリビアのテロリストではなく、2人の政府工作員のリースとフォーリーだった。 |
PART2 | |
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マーティJr.の名前は当初ノーマン という名前だった。 |
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マーリーンの名前は当初ドリスという名前だった。 |
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続編の制作にあたり仮タイトルとして当初「パラドックス」とし撮影されていた。 |
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草稿では未来のドクの移動実験室「brown RESARCH」という名の車があった。 |
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荒廃した世界でビフとロレインは結婚した年は12年前の1973年。 |
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ビフの娯楽パラダイスは屋上を含めて28階建て。 |
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PART1のラストシーンとPART2の冒頭のシーンを新たに取り直された別物。ほぼ同じ様に撮影されているが設定としてジェニファーを演じる女優の変更とマーティがドクに自分たちの未来がどうなっているのか?と尋ねた時にドクが返事をする際に間を開けさせたことの2点は変更になっている。 |
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ビフの娯楽パラダイスの屋上とヒルバレー高校の屋上は同一のセットで撮影された。 |
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ウエスタン・ユニオン職員とマーティのやり取りのシーンはユニバーサルの屋内に造られたセットで撮影された。 |
PART3 | |
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1885年のヒル・バレー市長には当初任期を終えたロナルド・レーガンを起用したかったが断られた為にヒュー・ギリンが起用された。 |
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クレイトン渓谷は草稿ではティーチャーズ・クリフと名付けられていた。 |
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PART3のロケ地はソノマ郡ペタルーマ。ここはPART1でヒル・バレー のロケ地候補だった場所。 |
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草稿段階でドクの子供の名前は「トム」「ベン」「ジュールズ」 と名づけられていた。 |
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ビュフォード・タネンの初期の名称はブラック・ビフだった。 |
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ジュール・ベルヌ・トレイン(ジュール・ベルヌ号)の名前の由来は、ジュール・ベルヌの小説を映画化した「海底2万マイル」のノーチラス号から着想を得て設計されたことでこの名前になった。 |
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1885年にタイムトラベルしたマーティを追いかけたインディアンのポハチー族は作品の為に考えられた架空の先住民。撮影地にいる先住民のナホバ族により演じられた。 |
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1955年で墓石の写真を撮ったカメラは、ヒル・バレーの陸海軍ストアで買ったもの。 |
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マクフライ農場からヒル・バレーの中心地までは12マイル(19km)ありかなり離れている。 |
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1885年でドクが飼っている3頭の馬の名前はそれぞれ「ガリレオ」「アルキメデス」「ニュートン」。 |
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未公開映像のストリックランド保安官がビュフォードに殺されるシーンは、ゲイル曰く「撮影に暗い影を落とすからだ。映画の公正さという意味でも、あんなふうに人を殺したやつはその代償として死ななきゃならない。ビュフォードを殺すわけにはいかないのは明らかだから、あのシーンは削ることに決めたんだ。」との事でカットされた。
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